日記
母は「依存体質」。帰省を断ると豹変する親を、脳のドーパミンと欠乏状態で解体してみた。
私の母は、昔から「依存体質」です。
何十年も「父」に依存し、初孫が生まれてからはその対象を「孫」へと切り替えました。
吉田はこれまで多くの「依存体質」の人を見てきましたが、彼らには共通点があります。
それは、「快楽の供給源」を維持するためなら、「人を簡単に裏切る」ということ。
依存中、脳内では「ドーパミン」などの「快楽物質」が溢れ、彼らは全能感に満たされるんです。
しかし、「依存を邪魔する存在」が現れた途端、脳は「欠乏状態」に陥り、「防衛本能」として「超利己的な攻撃性」を発揮します。
たとえそれが、これまで恩を受けてきた相手であっても、「依存をさせてくれないなら不要な存在」と一瞬で切り捨ててしまう。これが依存の持つ、動物的な残酷さですね。
先日、帰省を断った際に吉田が受けた「母からの攻撃」も、まさにそれ。
学生時代から今まで、そしてこれからも、彼女(母)にとって私は「娘」である前に、自分の情緒を安定させるための「リソース(資源)」に過ぎないのでしょう(苦笑)
「母親が子供を憎むわけがない」という言葉は、「家族」という美しい「共同主観」が生み出した「幻想」だと思います。
心理学的には「アンビバレンス(両価感情)」と呼ばれますが、愛が深ければ深いほど、思い通りにならない対象への憎悪もまた、鏡合わせのように深く刻まれます。
私たちは、「母」「父」「子」という「記号的な役割」で相手を見るから苦しくなるんですね。
「一人の個体」として「俯瞰」すれば、「どんな時に、自分の欠乏を埋めるために他人を利用する人間なのか」が冷徹に見えてくると思います。
親のダメな部分を「毒親」だと認識しても、何ら問題はありませんぞ。先程申した通り、親も「ひとりの人間(個体)」なんですから。
ただ、それでも厄介なのは、人間には「刷り込み(インプリンティング)」に近い、「血縁への根源的な愛着」が備わっていることです。
どんな仕打ちを受けても、脳は「自分を産んだ母(個体)」を完全には裏切れないように設計されています。
「親孝行」や「家族愛」という言葉は、こうした不都合な真実を覆い隠すための、「社会的な洗脳」でしかないのかもしれません。
まあそんな感じで、先日の「帰省事件」で攻撃を受けた吉田は、「私の母ってほんと嫌な女だなー」と冷めた目で思いましたが、同時に私の中にも「母を深く愛するが故の憎しみ」があるのだと再認識しました。
本当の意味で「自分の人生を生きられる」のは、どんな子も逃げられない「呪縛の源(因縁)」である「親」がこの世から消えた時なのかもしれませぬ。
それが、「人間」という「動物」の、哀しい「因縁」なのだと思いまする。
