足裏吉田

日記

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物質的極楽と、精神的困窮:2035年に現れる『意味的弱者』の正体

2026 / 03 / 16  21:19
物質的極楽と、精神的困窮:2035年に現れる『意味的弱者』の正体

 

日記の感想をLINEで送ってくれる友人が何人かいて、最近よく聞かれるのが「あの納豆ごはん、美味しそう。色は何を入れているの?」という質問です(笑)。

 

納豆の色が濃いのは、醤油マイブームの時に出会った「鶴醤(つるびしお)」を混ぜているから。

 

鶴醤は、キッコーマンの醤油をより濃く、テクスチャーを重くしたような濃厚さがある。

 

そのどっしりした納豆に、卵黄の甘みが混ざると最高なので、ぜひ試してみてほしい!

 

さて、ここからが本題。

 

昨日投稿した「意味の格差ってなに?」という質問をいくつか受けたので、私なりにまとめてみました。

 

「意味の格差」が起きると、AIが予測しているのは、今から9年後の「2035年」。

 

社会がほぼ完全にユニバーサルハイインカム(国民全員が十分な生活費を得る状態)に到達した時代のことですね。

 

• 給付金は月18〜20万円。

• 物価は2026年比で半分以下。

• 実質的な購買力は、今の月50万円以上に相当。

 

所得格差が縮小し、物質的な不自由が消えた後に現れるのが「意味の格差」。

 

AIが面倒な仕事をすべて肩代わりしてくれる世界。そこでは、今なら贅沢に聞こえる「今日一日をどう過ごすか」という問いが、9年後には「残酷な悩み」へと姿を変えて現れます。

 

「意味を見つけている人」は、創作や喜びに没頭し、仕事と遊びの境界がない「自分の人生」を統合して生きています。

 

一方で、「意味を見つけられない人」は、不自由ない生活の中で慢性的な空虚感を抱え、SNSやAIコンテンツを消費して日々をやり過ごす。貧しくはないが、幸せでもない。

 

この空虚感は、お金を配っても解決できない。

 

「朝起きて、今日何のために生きるのか分からない」という絶望は、GDPにも統計にも現れない哲学の問題。

 

イーロン・マスクが当初から懸念していた「意味的弱者」の出現です。

 

一方で、ある友人はこう言いました。

 

「労働から解放されて、毎日が自由に暮らせるならば、Netflixとお酒を飲んで、旅行に行って、美味しいものをたくさん食べて、飽きることなく楽しいだろうな。」

 

ほとんどの人が友人と同じようなことを思うのかもしれません。

 

ですが、AIの予測が示唆する「意味の格差」の恐ろしさは、まさにその先にあります。

 

Netflixも、酒も、美食も、すべては「誰かが用意してくれた快楽を、ただ受け取るだけの行為」です。

 

AIが進化すれば、その快楽はさらに完璧になり、自分の好みに合わせて無限に供給されます。

 

しかし、人間という生き物は、自分から汗をかき、工夫し、誰かとぶつかり合うような「手応え(摩擦)」がないと、どれほど贅沢な快楽にも数年で慣れ、最後には耐えがたい虚無に襲われることが分かっています。

 

友人の言う「楽しい毎日」は、最初の数ヶ月は天国かもしれません。

 

けれど、自分が何もしなくても世界が回る中で、ただ「消費するだけの存在」になったとき、人は「自分はこの世に必要ないのではないか」という問いに耐えられなくなるのかもしれない‥

 

と、ここまで偉そうに分析してみたけれど、実は私も「何を楽しんで生きていこう?」と夜中に震えていた一人です。

 

もしかしたら、ここ数年で「自分が好きだと思えるもの」を見つけたのは、何かのヒントを得るためだったのかもしれません。

 

それが、作家の器であり、一本の醤油であり、適度な距離感で毒を吐き合える友人や飽きることのない愛しい相方だったり。

 

 

 

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明日死ぬなら今日は何をして生きようか?

 

 

______

 

今日の食事記録_φ(・_・

 

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