日記
ルッキズムと、ハリウッドの悪役。顔面における『構造と現象』の相関
昨今「ルッキズム(外見至上主義)」への批判が加速していますが、みなさんはどう思いますか?
「人間、見た目がすべてじゃない」
「顔よりも内面が大切だ」
‥本当にそうでしょうか。
私の好きなハリウッド俳優に、「スティーヴ・ブシェミ」がいます。
ご存知の方も多いでしょうが、彼はいわゆる「悪役顔」です(笑)。
たとえば、映画『ミリオンダラー・ベイビー』。
もし、「クリント・イーストウッド」が演じた不器用で哀愁漂う老トレーナーを、「ブシェミ」が演じていたらどうでしょう。
あの衝撃のラストシーンは、感動の尊厳死ではなく「ただの凶悪な殺人事件」に見えてしまいませんか?(笑)
何をやっても「お前、裏があるだろ‥」と観客に思わせてしまう。その抗えない悪相こそが、彼を唯一無二の愛おしい存在にしている、と思うんです。
結局、「顔つき」というのは、その人がこれまで積み重ねてきた人生がそのまま表出してしまうものなのかなー、と。
おもしろいのは、この「顔つき」ばかりは、自分の意志や努力ではどうにもならないという点です。
たとえば、「全身が詐欺のメタファー」のような顔をした与沢翼に、真顔で褒めちぎられたらおもしろくないですか? (笑)
口から出る一言一句が「嘘の塊」に聞こえてしまうほどの説得力。これほど飽きさせないエンターテイナーはいません。
あるいは、「君、本当に親から愛されて育ったんだね」という幸福感が顔一面に溢れ出ている山田玲司。
彼が「人に愛されるためには、まず自分から愛さなきゃダメなんだよ〜」なんて説法を始めたら、「分かった、もう分かったから! お前が一番愛されたいんだろぉおお!」と、つい画面越しに抱きしめたくなってしまいます(笑)
容姿とは単なる「美醜」の問題ではなく、その人の「業(ごう)」がコントロールを超えて表出してしまったもの。
だからこそ、整いすぎていて、何の履歴も、何の矛盾も漏れ出していない記号のような顔。
つまり、「物語」が刻まれていない顔には、どうしても魅力を感じることができないんですね。
そこには、ブシェミの悪相のような抗えない「人間臭さ」がないからです。
スペックの良し悪しではなく、その顔に張り付いた「消せない物語」を観察してみると、
たとえ、それが「悪役」のような顔であっても、なんだかたまらなく人間っておもしろいな、と深い愛しみが湧いてくると思うのです。
______
今日の食事記録_φ( ̄ー ̄ )









