日記
村上龍『五分後の世界』
村上龍の『五分後の世界』がおもしろい!
数年前に読んだときよりも、感動の度合いが増しておりますぞ。
物語の舞台は、第二次世界大戦で降伏を拒否し、「本土決戦」を継続したもう一つの日本。
「ポツダム宣言」を受諾せず、連合国軍との凄絶な地上戦を戦い抜いた末、日本人は山岳地帯の地下へと潜り、独自の軍事国家を築き上げている。
山岳地帯に籠城しての長期戦。「日本の地形」を味方につければ、日本が優位に立てるのではないか。そんな歴史の「if」には、ある種のロマンさえ感じてしまうよな!
『五分後の世界』で描かれる世界観は、どこか幻想的で物語的な美しさがあって好き。(椎名誠のアドバードや武装島田倉庫も同じような気持ちになる。)
主人公の小田桐は、いわば「現代」から迷い込んでしまった異分子くん。
彼には、私に属する「ゆとり世代」特有の、どこか「ひ弱」で「空虚」な気配がある。
だからこそ、小田桐の「泣きポイント」には、私も共鳴してしまうかも。(笑)
例えば、アンダーグラウンドの地下深くにある、ファミレスのような簡素な食堂でのシーン。
小田桐の斜め前に座っていた、父・母・4歳くらいの娘・6歳くらいの息子の四人家族。育ち盛りの息子は、早々にオムライスを食べ終えてしまう。父親が「うどんを頼もうか?」と促すと、息子は「お父さんの食券がなくなってしまう」と遠慮する。妹は「お兄ちゃんに私の分をあげる」と言い、母親は「あなたは自分の分を食べるのが仕事よ」と諭して月見うどんを追加注文する。父親は息子に「美味しいか?」と問い、息子が幸せそうにうどんを啜る。
その家族の光景を見て、小田桐は涙を流す。(私も、ここで泣いた)
子供を「労働力」と見なした昭和初期以前の価値観とも違う。現代(平成以降)の、子供をチワワのように愛玩する感覚とも違う。
そこにあるのは、互いを一人の「生を共にする仲間」として尊重し、犠牲を厭わない、純粋で強固な家族の絆だ。
さらに、小田桐が命懸けの「ゲリラ戦」から帰還した際のシーンも忘れられない。
指揮官に「スパイ容疑」で射殺されそうになった瞬間、彼の戦いを見ていた日本兵が「奴は戦っていた」と庇う。その兵士の瞳には、現代の社会では決して出会えないような、真っ直ぐな「眼差し」がある。
その彼に「お前はよくやった」と認められた瞬間、「もう十分だ」みたいな気持ちで、小田桐は号泣する。その気持ちが、今の私には本当によくわかるのだ。
平成という時代に、尊敬できる「大人」がどれほどいただろうか。誰もが自分の保身と利益に汲々としていた時代。そんな中で、「この人に認められたのなら、もう十分だ。」と思えるような他者に出会えた小田桐くん‥。
ラストのゲリラ戦では、小田桐はかつてないほど生き生きとした表情を見せる。
働かなくても「働いているふり」ができて、生かされてしまう、現代の代償とも言える無痛社会!
仲間を救うために自らの命を賭けて戦う!
その極限状態の中で、小田桐くんは初めて「生きている意味」を掴み取ったのかもしれない。
はうあー。いいですね。。
思うんですけどね。もしも、私に苦労を共にした尊敬する友がいなかったら‥ほぼ確実に、AIに依存した生き方を選んでいたのではないかなー、と。
そう思うと、恐怖?を感じます。
(今の不透明な感じの世界も)
さてさて。まだ「本土決戦」を舞台にしたvrに浸りたい気分なので、次は、小松左京でも読もうかな。
