日記
筒井康隆『ヘル』
筒井康隆の『ヘル』を読んだ。
なんだか途中からよく分からなくなってきた。
そういえば、小中学生の頃、「死んだ後はどんな世界へ行くのか。その世界では何が必要で、どんな準備をしておけばいいのか」といったことを、ワサワサと考え続けていた時期があったな。
由美(母)に相談すると「あんた、まだ生きてるのに、死んだ後の世界のことなんて考えるなんて馬鹿だよ」と一蹴された気がする。
ある日、由美は、私と妹を近所の寺へ連れて行き、「地獄の絵」を見せたこともあった。
「ほら、これが地獄なのよ。死んだ後も苦しむなんて嫌ね。生きてるのも苦しいのに、死んでも苦しいなんて。」などと、深いことを言っていたが、由美の苦しみの原因は父であり、その父に服従するのが快感という一面が由美にはある。
そして、帰宅するなりテレビドラマを見ながらお菓子を食べ、お腹をポリポリとかいている。由美にとって「地獄」とはエンタメに近い。
そんな由美の影響もあり、私は高校生くらいまで「天国と地獄は実在し、この世での悪行は死後に精算せねばならない」と信じていた。
けれど、ふと疑問が湧く。
「戦国時代に人を殺すのは『なさねばならぬ仕事』だったはずだが、当時の人は全員地獄にいるのだろうか?」「そもそも、人を殺してはいけないという法律なんて、人類の長い歴史で見ればごく最近のものではないか?」
何を基準に「善」と「悪」を分けるのか。
由美に尋ねると「何をバカなことを! 人を殺したり悪いことをしたりすれば刑務所に入るのよ!」と言われた。
由美の顔を見て、気づいた。
「ああ、そもそも法律とは人間が作ったものではないか。歴史もそうだ。となれば、地獄や天国という概念もまた、人間が作り出したものに過ぎない。では、今私がいるこの場所は? もしかして、虚構‥」
そんな考えに至ったのが、二十歳を過ぎた頃だったと記憶している。
話を戻すと、筒井康隆の『ヘル』は、まさにそうした混沌とした概念がごちゃごちゃに混ざり合ったような世界を描いているのかも。
私と同じような考えに迷い込んだことのある人なら、たぶん好きな話だと思う。
個人的には、『驚愕の曠野』で描かれた地獄のほうが好みかもしれない。けれど、もし自分が実際に行くとしたら、楽そうな『ヘル』を選ぶかも。いや、今と似たような場所(ヘル)に行くのも馬鹿らしいな。でも、痛いのは嫌だな。まあ、死んだ後は、「無」だと思ってるけどさ。
