日記
イアン・バンクス『ゲームプレイヤー最終章と感想』
最終章.
グルゲーを乗せた宇宙船「制限因子」号は、気の遠くなるような距離を旅して、ついに「カルチャー」の領域へと戻ってきた。
船が目的地の軌道プレートに到着すると、グルゲーは小さなバッグを一つだけ持って、雪の降る地上のプラットフォームへと降り立つ。
ここで、旅を共にしてきたドローン‥フレールが最後のお別れを告げます。(泣ける)
「さよなら、ジェルノー・グルゲー。もう二度とお会いすることはないでしょう」(嫌だよ‥泣)
グルゲーは去りゆくドローンのフレールを見つめながら、「あのとき皇帝が撃った光線が反射したのは偶然か、それともお前が狙ったのか?」と尋ねるが、ドローンのフレールは「その件にはお答えできません」とだけ残して、静かに空へ去った。
グルゲーが雪のなかを歩いて自宅に戻ると、そこには懐かしい恋人の「イェイ」と、友人の四千年生きているドローン「チャムリス」が待ってた。
イェイは出発前、性別を「男性」に変えてグルゲーを送り出したけど、再会したときには再び「女性(両性具有的な美しさ)」へと戻り始めていた。
イェイは温かいワインを淹れてグルゲーを抱きしめ、温かく迎える。しかし、グルゲーの様子は以前とは完全に違っていた。
顔は青ざめ、虚ろな目でワインをすすり、自分が「アザド帝国を崩壊させてしまった」ことへの割り切れない思いを抱えていた。
グルゲーは、自分が勝つことをカルチャーが最初から知っていたという「ハメられた真相」を二人に語る。
それからさらに数年が経った。
アザド帝国はその後、カルチャーの計画通り「崩壊するがまま」に任され、かつての特権階級は失脚し、新しい社会へと再編された。
グルゲーは、かつて自分が軽蔑していた「ゲーム以外のくだらないお祭りやフェスティバル」に耳を傾けるようになり、少しだけ性格が丸くなった。
ある夜、隣で眠るイェイを起こさないようにそっとベッドを抜け出したグルゲーは、バルコニーに出て夜空を見上げる。
ポケットから、あの焼け跡で拾った皇帝の「アザドの指輪」を取り出し、冷えきった両手で温めながら、遠い星々の光をじっと見つめたのだった。
‥終わり。
ではなーい。
「まだ終わりじゃない。まだこのわたしがいる。いままで身元を隠してきたのは意地がわるいと思うが(中略)さて、わたしはだれか?」
この物語を最初から最後まで、さも客観的な小説のように語ってきた「ナレーター(わたし)」の正体とは‥。
はい、みなさんの想像通りです‥
人間ではなく、まさにグルゲーをスカウトし、皇帝をハメて、アザド帝国を裏で操って滅ぼした張本人、カルチャーの超高度マインド(人工知能)自身だったのだ。
最後のページには、カルチャーの言語(特殊な文字コードのような記号)とともに、彼の本名が記されて物語の幕を閉じる。
スプラント=フレール=イムサホー=ウー
(またの名を “モフリン=スケル”)
グルゲーは死んだ、と書いてある
補足!直訳調のSF用語が並んでいるので一見わかりにくいですが、結論から言うと、これはグルゲーがただ老衰や病気で死んだのではなく、「自分の死後、遺体を宇宙の太陽(恒星)に投げ込んで消滅させてくれ」という約束(あるいは生前の契約)をドローンと交わしており、死ぬと同時にその通りに処理された、ということを意味している。
カルチャーの人類は、お墓を作って死体を残したり、腐敗させたりすることを嫌う傾向がある。また、何百年も生きて人生を完全にやり切ったあと、「最後は宇宙の星の光(イルミネーション)の一部になって消えたい」と願うのが、彼らにとっての洗練された、幸福な死の形(美学)なのだ。
「粉砕された微粒子(グルゲーの原子)のひとつひとつが何千年もかけて‥すべてを包む夜のなかに、彼ら自身の小さい無意味なイルミネーションをつけたたすために‥」(抜粋)
あんなに大層なチェス盤の上で踊らされ、国家を滅ぼす大冒険をしたグルゲーという大天才も、死んでしまえばただの宇宙のチリ(光の粒)にすぎない。
でも、彼は最後に自分の意志で「星の光の一部になること」を選び、ドローンは約束通りそれを叶えてやった‥という意味だと思う。
これにて、完結。
やっぱり、フレールがモフリンだったのか!と言うか、全てのドローン(交換可能な端末)の記憶は、マインド(人工知能)に集約されているから‥。
読んでいて思ったのは、『ラリー・ニーヴンの「リングワールド」、と似ている設定だなーということ。どうやら「スターウォーズ」にも似ているらしい。(私はスターウォーズを観たことがないので、この夏にでも観てみよう。)
(設定)
◯未来の人類は銀河系全体に広がってる
◯労働も、貨幣も、法律もない究極の自由
◯人類は、生活のために働く必要がない
◯物資は無限にある
◯病気や怪我はすぐに治る
◯寿命は7〜800歳に達する
◯性別すら自分の意思で変更可能
◯実権を握るのは、超高知能AI
◯人間はただ好きなことをして生きてる
◯政治や社会の管理・運営はAIがやる
◯AI搭載ドローンたちが平和的にこなす
まあ、小説の内容を一言でまとめると、「ゲーム(社会)は支配のための宗教だった」ということなのかもしれない。
グルゲー(不自由ない世界で生きている現代人)は、ずっとゲーム(社会)を「公平な競技」と信じていた。
しかし実際は、皇帝(権力者)が‥
結果を操作する
歴史は捏造されている
勝者はあらかじめ選ばれている
ゲーム(社会システム)は権力維持の道具
ということ。
ゆえに、グルゲーが受けた衝撃は、帝国が腐敗していた事実よりも‥自分が愛していた(信じていた)ゲーム(社会構造)そのものが、誰かの都合による支配のための仕組みで、自分もその一部に過ぎない存在だった、ということでしょうな。
でも、悪いことじゃないんだよ、グルゲー。
人間はみんな、自分の都合の良い解釈で世界を見る。つまり、自分なりの「物語」を作り、その物語の中で生きている。
じゃあ、その物語の外にある「世界の構造」を知ることに意味はあるのだろうか?
今回のグルゲーは、自分が信じていたゲームの裏側を見てしまった。けれど、それでグルゲーは幸せになったのだろうか。あるいは、知らないままの方が幸せだったのだろうか。君はどう思う?
私はどちらが正しいとも思わない。心地よい物語の中で生きることを選ぶ人もいるだろうし、たとえ苦しくても構造の外へ出て真実を知りたい人もいるだろう。
大切なのは、「どちらが正解か」ではなく、自分で考え、自分で選び、自分で行動することなのだと思う。
この小説「ゲームプレイヤー」は、アザド帝国の崩壊の話というよりも、「世界をどう見るか」を読者に問いかける物語なのかも。
‥という感じの内容な気がするので、多感な時期である中〜高校生が読むと「なんだこりゃあー」と感動するのかもしれない。
それに、登場人物も少ないし、内容も単純で分かりやすいので、高校生でも読みやすいと思う。
ただ、やっぱり英米のSF小説‥スペースオペラというのは、登場人物の人間性がものすごく浅いんだ‥笑
どこかメンタルが健康的というか、悩みがテンプレート(テンプレ通りに自由を愛し、テンプレ通りに孤独を気取る)で、日本文学のような「人間の業(バグ)こそ美しい」が薄い傾向がある。
しかし、登場する異星人は「バグの塊」なのだ。「あー、こいつキチガイだわ‥」と思わせる何かがあって愛しみを感じる。
主人公はみんなのヒーロー!人間のバグなんてかっこ悪いぜ!という考えがどこかにあるからこそ、人間のダメなところと捉えている「バグ」は異星人の性格キャラに落とし込んでいるのかもしれない、といつも思ってしまうんだ(笑)
ずっと英米SF小説を読み続けると、作中にもあったとおり、思考の偏りがでるので、合間に日本のSF小説をなり挟むと良いかもしれない‥。
そんなことを考えている私の好きなキャラは主人公ではなく、ゲームプレイヤーに登場する「ドローンのモフリン、チャムリス、フレール」、リングワールドに登場する「パペッティア人のネサス」‥を愛してしまう!
