日記
『竹の子供と、刺し子の図案。』
【筍の思い出】
タケノコを一定の量食べると頭痛がするのだが、同じような体質の人はいるだろうか。
そんな私にとってのタケノコが、あの「竹」の子供であることを知ったのは、二十歳の春だった。
きっかけは、家にやってきた親戚の勧めだ。
「みーちゃん、筍の刺身を食べなよ」
私は困惑した。
「刺身? 刺身といえば海の幸ではないのか。それとも、目の前のこれは魚の類なのか。いや、筍は野菜だ。」
恐る恐る口にしてみたが、味の良し悪しよりも「刺身」という言葉の響きが頭から離れない。
そこへ親戚が追い打ちをかけるような一言を放った。
「もう山に入るのも面倒で、放っておくとすぐ竹になっちゃうから‥」
衝撃だった。
「お母さん、なぜ竹の子供が筍だと教えてくれなかったのですか。それとも、普通に生きていれば自ずと知るものなのですか。私は二十歳にしてようやく、自分が『竹になる前の竹』を食べている事実に直面しましたよ‥」
そう心の中で呟くつもりが、つい口から漏れ出てしまったらしい。
それを聞いた母は、信じられないものを見るような目で私を見つめた。
「えっ、タケノコが竹になるって知らなかったの? 今までどうやって生きてきたのよ。恥だねえ〜」
その言葉を受け、私は心の中で言い返した。
「あんたに育てられて、生きてきたんだよ。」
【刺し子のランチョマット】
これは何に見えるだろうか。
友人の出した答えは「腹ペコ青むし」「アリ」だったが、残念ながら不正解。
ヒントは、私の地元・東海地震の時、絶対に行ってはいけない場所・母の好物・かき揚げになる。
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今日の食事記録_φ(・_・
代々木八幡宮、夜のお散歩。
「疲れたなぁ」と感じる日は、よく友人と「夜の代々木八幡宮」をお散歩します。
先日のお散歩中、境内の近くに住んでいるネコが、「お稲荷さま」から「鳥居の方」へと静かに戻っていく姿に出会いました。
石畳を歩く「足元」がたまらなく可愛くて、思わず「ハフハフ」したくなりますが、ネコアレルギーなのと、彼らのパーソナルスペースを尊重してグッと我慢。
暖かくなってきたせいか、土からはたくさんのカエルたちが這い出していました。
木々に覆われた暗がりでは、慎重に歩かないとカエルを蹴り飛ばしてしまいそうです。
有難いことに、私たちの足音を聞くと「ケケロ」と「草の上を一跳ね」して存在を知らせてくれるので、耳を澄ませば位置が把握できます。
私が何より恐れているのは、「カエルを蹴ってしまう」ことです。
人間の足のひと振りは、彼らにとっては「致命的な内出血」を招く可能性大。もし私の不注意で死なせてしまったら、それはもう「殺人」ではありませんか。
昔から、草むらや枯葉の上を歩くときも、下にいるかもしれない「虫」を潰すのが怖くて、思い切り踏み出すことができませんでした。
まるで雲の上を歩くような、浮遊感のある足取りになってしまうんですね。
そんな私をみて、友人や家族からは「虫嫌い」と言われましたが、一種の「おそれ(畏怖)」に近い感覚だと思っています。
ほら、たとえば「草むら」や「枯れ葉」の下に、「神様が眠っている」と言われたら、思いっきり踏み歩くのは無理じゃないですか?
そんな話を友人にしたら、「日本人だね」と言われました。
調べてみると、虫の音を「ノイズ(雑音)」ではなく「声(歌)」として「左脳(言語脳)」で処理するのは、世界でも「日本人」と「ポリネシア人」だけだという説があるそうです。
「万物に神が宿る」と考え、小さな命の訴えを「言葉」として聞き取ってしまう日本人とポリネシア人。おもしろいですなあ。
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今日の食事記録_φ(・_・
(由比のオリーブオイルツナ缶がほんと好きすぎて、2日に1回食べてる。半年に1回100缶注文してる。そろそろ注文の時期か‥)
(鶴醤の醤油をリピするのはやめようと思っていたけど、地味に悩む。刺身同様にアボカドとも相性が良き。美味!)
(あんまり食欲ないけど、血糖値が低下する前にまたもや納豆)
(厚揚げの生姜煮を久しぶりに作ったけど美味い。これは、友人たちから1番好評で、そこそこ自信あるべさ。)
(毎度ながら、腐敗しないカットフルーツの理由がよく分かる味がした。ただ、パイナップルだけ薬剤の味がしないんだけど、なんでだろ。)
(久々に食べたもずくキムチ。たまに、卵かけご飯にのせて食べると美味しい。もう当分いらないかな。)
アスキーアート「安西先生 AA」刺し子のランチョマット
「アスキーアートの安西先生」を、刺し子で縫い上げてみました。わーい。
今回は「三枚重ね」という贅沢な構造に挑んだため、過去のどの作品よりも圧倒的な厚みと、ずっしりとした手応えを備えた一品に仕上がったのでありまする。
しかし、完成した実物を眺めると、一抹の懸念がよぎる‥。
四方をミシンではなく「下手な手縫い」で仕留めたため、この「重厚な布塊」を支えるには強度が若干心許ない。
おまけに厚みが増し、白い布地が前面に出た結果、どことなく「使い込まれた高級な雑巾」のような風情が漂い始めています‥。
まあ、頑張って作ったからいっか( ´ ▽ ` )
友人が作った「器」を添えてみる。
これも前作「モナー AA」同様に、使い込まれるほど味が出そうだな。
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今日の食事記録
能動的「好き」の快楽。受動的な幸福に、用はないのだ。
「みーちゃん、これからは今までしなかったことをしてみなよ!」
今朝、友人からそんなことを言われ、さっそく「近所のカフェ」へと行ってみた。
場所は、ココカラファインのほぼ正面。
おそらく最近オープンしたばかり。
店内は「陽当たりのいい表席」と、奥まった「照明必須の隠れ家席」に二分されている。
「紫外線」から肌を死守したい私にとって、迷わず選ぶのは後者の「暗黒席」である。
アイスカフェラテを注文。
30分を目処に読書。
今の情勢下では、村上龍の『五分後の世界』が無性に読みたくなる。あるいは、ガンズ・アンド・ローゼズの『Civil War』を爆音で脳内に流したくなる。起きている事象を俯瞰しなければ、この狂った世界に呑み込まれてしまいそうではないか⌯᷄︎ ̫ ⌯᷅︎
おっと、思考が荒野へ逸れた。
話を戻そう。
刺し子の下書きに使っていた「モナー」の残骸を破り、しおり代わりに使っていたところ、店員の女性が「そのしおり、おもしろいですね」と声をかけてくれた。
その、笑顔とコミュニケーション能力。
「推し」になりそうな予感に胸が躍る。
「本推し」のひとりは、担当の美容師である。前回のカット時、「また来ます」と告げた私に、推しは言った。
「でも吉田さん、半年に一回しか切らないっすよね? じゃあ、ヘッドスパだけでも来てくださいよ」
この商売っ気のない、しかし確かな「求められている感」に、私は密かにときめいたのである。
困ったことに、美容院のシャンプーは髪がサラサラになりすぎる。一週間ほどはゴムで縛ってもスルスルと解けてしまうのだ。
いっそ、普段愛用している「牛乳石鹸シャンプー」を持参して、それで「洗髪をお願いします」と頼んでみようか。
本推しは、きっと「マジでやばくないっすか?」と笑うだろうな。
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今日の食事記録
(由比缶詰所のオリーブオイルツナ缶、ほんと美味しい!)
(昨日の残りの鯖缶の鯖。鯖つゆのない2日目は、バターとマヨネーズを入れて煮込むとマイルドな味になる。)
歌 (Somebody To Love / I want to break free)
みんなだいすき?
Queenのフレディ⌯᷄︎ ̫ ⌯᷅︎
ステージで見せる、あの愛着障害特有ともいえる「過剰で、どこか奇妙な動き」。それがどうしようもなく愛くるしくて、「大丈夫だよフレディ、みんな君を愛しているよ」と声をかけたくなってしまいます。
『I want to break free(自由への旅立ち)』を聴くと、いつもこんな感情が去来します。
「すべては虚構であり、完全な自由など存在しない。それでも自由を求め、そう思わなければ生きていけない。誰かの承認欲求を満たす装置になるのはもう疲れた。そんな役割はもう終わりにしたい。ただ、自由になりたいんだ。」
歌詞そのものですが、彼が叫ぶ「君の嘘(Your lies)」とは、他者からの期待や、自分を縛り付ける偽りのイメージだったのかもしれません。
また、『Somebody To Love(愛にすべてを)』の一節も大好きです!
「誰か、僕のために愛する人を見つけてくれないか?(Can anybody find me somebody to love?)」
初めてこの曲を聴いた時、「えっ、愛する人って自分で探すものじゃないの?」と笑ってしまいました。
でも、その言葉を裏返せば、「自分では誰も見つけられない」という深い絶望と、圧倒的な孤独が見えます。
「愛させてくれ」と自分から乞うのは、どこか悲しい。もし、誰かが勝手に「君を愛してくれる人」を連れてきてくれたなら、その時初めて、「自分はこの世界に必要とされている」のだと信じられる気がする。そんなフレディの「愛着の傷」に、私は強く共鳴してしまいます。
ふう。そういえば、推しの山田玲司も言ってましたね。「この世界は愛に飢えた海だ」みたいなことを。⌯᷄︎ ̫ ⌯᷅︎
あ、なんで笑ってしまうんだろう(笑)
玲司が言うとなんでも笑ってしまう。
追伸
人参で人参を作ってみました。
葉は、パセリです。
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今日の食事記録_φ(・_・





































