日記
- 2026-08(10)
- 2026-07(23)
- 2026-06(14)
- 2026-05(10)
- 2026-04(17)
- 2026-03(27)
- 2026-02(17)
- 2026-01(17)
- 2025-12(6)
物質的極楽と、精神的困窮:2035年に現れる『意味的弱者』の正体
日記の感想をLINEで送ってくれる友人が何人かいて、最近よく聞かれるのが「あの納豆ごはん、美味しそう。色は何を入れているの?」という質問です(笑)。
納豆の色が濃いのは、醤油マイブームの時に出会った「鶴醤(つるびしお)」を混ぜているから。
鶴醤は、キッコーマンの醤油をより濃く、テクスチャーを重くしたような濃厚さがある。
そのどっしりした納豆に、卵黄の甘みが混ざると最高なので、ぜひ試してみてほしい!
さて、ここからが本題。
昨日投稿した「意味の格差ってなに?」という質問をいくつか受けたので、私なりにまとめてみました。
「意味の格差」が起きると、AIが予測しているのは、今から9年後の「2035年」。
社会がほぼ完全にユニバーサルハイインカム(国民全員が十分な生活費を得る状態)に到達した時代のことですね。
• 給付金は月18〜20万円。
• 物価は2026年比で半分以下。
• 実質的な購買力は、今の月50万円以上に相当。
所得格差が縮小し、物質的な不自由が消えた後に現れるのが「意味の格差」。
AIが面倒な仕事をすべて肩代わりしてくれる世界。そこでは、今なら贅沢に聞こえる「今日一日をどう過ごすか」という問いが、9年後には「残酷な悩み」へと姿を変えて現れます。
「意味を見つけている人」は、創作や喜びに没頭し、仕事と遊びの境界がない「自分の人生」を統合して生きています。
一方で、「意味を見つけられない人」は、不自由ない生活の中で慢性的な空虚感を抱え、SNSやAIコンテンツを消費して日々をやり過ごす。貧しくはないが、幸せでもない。
この空虚感は、お金を配っても解決できない。
「朝起きて、今日何のために生きるのか分からない」という絶望は、GDPにも統計にも現れない哲学の問題。
イーロン・マスクが当初から懸念していた「意味的弱者」の出現です。
一方で、ある友人はこう言いました。
「労働から解放されて、毎日が自由に暮らせるならば、Netflixとお酒を飲んで、旅行に行って、美味しいものをたくさん食べて、飽きることなく楽しいだろうな。」
ほとんどの人が友人と同じようなことを思うのかもしれません。
ですが、AIの予測が示唆する「意味の格差」の恐ろしさは、まさにその先にあります。
Netflixも、酒も、美食も、すべては「誰かが用意してくれた快楽を、ただ受け取るだけの行為」です。
AIが進化すれば、その快楽はさらに完璧になり、自分の好みに合わせて無限に供給されます。
しかし、人間という生き物は、自分から汗をかき、工夫し、誰かとぶつかり合うような「手応え(摩擦)」がないと、どれほど贅沢な快楽にも数年で慣れ、最後には耐えがたい虚無に襲われることが分かっています。
友人の言う「楽しい毎日」は、最初の数ヶ月は天国かもしれません。
けれど、自分が何もしなくても世界が回る中で、ただ「消費するだけの存在」になったとき、人は「自分はこの世に必要ないのではないか」という問いに耐えられなくなるのかもしれない‥
と、ここまで偉そうに分析してみたけれど、実は私も「何を楽しんで生きていこう?」と夜中に震えていた一人です。
もしかしたら、ここ数年で「自分が好きだと思えるもの」を見つけたのは、何かのヒントを得るためだったのかもしれません。
それが、作家の器であり、一本の醤油であり、適度な距離感で毒を吐き合える友人や飽きることのない愛しい相方だったり。
明日死ぬなら今日は何をして生きようか?
______
今日の食事記録_φ(・_・
歪で確かな絆。2030年への生存戦略。
ご近所の「推し夫婦」から、「手作りのぜんざい」をいただいた。すごく美味しい!
食べ物で幸せな気持ちになったのは、久々かもしれない。
客観的に見れば「普通の美味しいぜんざい」なのだろうが、私は「この二人が好き」なので、ものすごく幸せを感じる。
「AIの未来予測」では、2034年頃(8年後)には「人間が直接関わること」の「価値が爆発」するらしい。
「効率を極めたAI」には出せない、「好きな人から手渡される」お裾分けの温かみ。
特に交流が多いわけではないけれど、たまにこうして「温かさを交換」する。
この淡く、「確かな繋がり」は、「未来のセーフティネット」そのもののような気がする。
昨日、「一年ぶりに会った友人」とは、互いに「一年に一度がちょうどいい」と思っている。
頻繁に会っても飽きるし、なんなら「〇〇さんのフェミにはヘキヘキするよ」と本人に言ってしまいそうだ。
2029年(3年後)に到来すると言われる、過剰にクリーンな「ホワイト社会」。
AIが提示する「全肯定の正解」ばかりの世界では、人間はかえって「空虚」になるだろう。
そんな時代において、ひたすら濃密に話し、後半にはシラフでお互いを否定し合える関係は「貴重」だ。「素直な攻撃」をぶつけ合い、「知的な火花」を散らす。
その「摩擦」があるからこそ、私は「自分が生きている実感」を強く持てる。それは、AIの「最適化された優しさ」よりもずっとおもしろいし、飽きない。
そんな、親よりも「絆」を感じる友人もいれば、私に「瓜二つ」すぎて現在は「ブロック期間中」の友人もいる。
近所ですれ違うたびに、互いに意識して「あっ、こいつだ」と認識しているのに、絶対に声をかけない。その「膠着状態」すらおもしろい。何をされても、許せる存在だからだ。
頻繁に会うわけではないし、連絡もほとんどとらない。
けれど、心から「おもしろい」と思えるし、「また会いたい」と思える。
2035年頃(9年後)に生まれるという「所得格差」よりも深い「意味の格差」。
物質的に満たされても「生きる意味を見失う」という、人類史上「最も残酷な格差」が、わずか9年後に迫っている。
そんな時代に向かっている今。
推しからのぜんざいを喜び、友人と毒を吐き合い、ブロック中の相手とのすれ違いをおもしろがれる。
この「歪で、でも確かな人との繋がり」がもたらす「感情の摩擦」こそが、AI時代に「人間として正気」を保つための、本当の「生存戦略」なのかもしれないなー、なんて思いました。
______
今日の食事記録_φ( ̄ー ̄ )
• エネルギー: 1814.9 kcal
• たんぱく質: 73.1 g
• 脂質: 43.1 g
• 糖質: 260.0 g
• 食物繊維: 29.8 g
• 大豆イソフラボン: 約 55.4 mg
桜のランチョマット完成。
【刺し子】
「ホビーラホビーレ」で購入した「桜」の図案。
春を待ちわびるように針を進めてきた「ランチョンマット」が、ようやく完成した。
最初は「図案通り」に進めていたのだが、途中で「自分らしさ」という「アレンジ」を加えたくなり、最終的にはこのような形に。
初めて取り組んだ図案にしては、なかなかの出来栄えではないだろうか。
アドバイスをくれた友人とエージェントに感謝!( ´ ▽ ` )
______
今日の食事記録_φ(・_・
• エネルギー: 1762.5 kcal
• たんぱく質: 75.55 g
• 脂質: 61.25 g
• 糖質: 213.55 g
• 食物繊維: 26.2 g
• 大豆イソフラボン: 約 84.0 mg
脈打つ器と、春の北参道。
今日は、相方と北参道へ行ってきた。
お目当ては、推しの陶芸家「田中恒子さん」のギャラリー。
ご本人に直接お会いできるとは思ってもいなかったので、胸が躍った。
田中さんの手を見て、ハッとした。
あかぎれが痛々しくも美しく、「職人の手」そのものだったからだ。
ろくろを回す際の、あの「にぎにぎ」とした手の感触が器に残り、それが独特の温かみとなって伝わってくる。私は、その質感が好きだ。
これほど美しい器なら、「真っ白な布の上」に並べるだけで、「凄まじい存在感」を放つだろう。
しかし、「どうディスプレイすれば器が映えるか、照明はどうするか」といったブランディングの領域は、また別の話。
職人さんは、どこまでも純粋な職人なのだ。
こうした「職人」の隣に、「ブランディングに長けたパートナー」がいれば、困ってしまうほど売れまくってしまうのではないだろうか、そんな「構造的な思考」が頭をよぎった。
お目当ての「白釉薬」の器を手に取る。
なんとも言えない、冷たすぎず、それでいて凛とした温かみのある白。
「何もない」ことの美しさを、改めて実感する。
帰宅後、さっそく器を水に浸して使い始めたが、ここで事件が起きた。
いつもの「フルーツヨーグルト」を盛り付けたところ、ブルーベリーの「色素」が器に「沈着」してしまったのだ。
「う、器が脈打ってる‥!」
思わず声を上げた。
まるで器が息を吹き返し、血管がドクドクと脈打っているような生命力を感じて、「興奮」してしまった。
田中さんの器は、「風合い」を出すために「粒子の粗い土」や、「貫入」と呼ばれる「細かいヒビが入った釉薬」を使っている。
今回の青いシミは、ブルーベリーの「アントシアニン」がその「ピンホール」や「貫入」に染み込み、器の「模様」となったのだろう。
「土の味わい」を活かした器にとって、使い込むうちに食べ物の色が移り、質感が変わっていくのは「日常の風景」だ。
それを「器を育てる」と呼び、ブルーベリーのシミを見て「脈じゃねえか」と面白がれる自分も、なかなか悪くない。
そして、もうひとつのお気に入りがこちら。
田中さんから「サラダボウルにもいいですね」と勧められた器。
「普段から野菜をたくさん食べる相方」の姿が浮かび、購入を決めた。
さっそく「吉田風うずめ飯」を盛り付けてみたが、これが最高だった。
手に吸い付くようなフィット感が素晴らしい。明日はこれで納豆ごはんを食べてみようと思う。
思えば、一人で選んでいたら、私は相変わらず「白一色の世界」にいただろう。相方が隣にいてくれたおかげで、この器を迎え入れることができた。
私の日常に「新しい彩り」を添えてくれる存在。そんな変化を感じるのも、二人で出かける面白さなのだと改めて感じた。
お昼は久しぶりの外食へ。
普段の昼食が「ヨーグルトのみ」の私にとって、「しっかりとした食事」はお腹がはち切れそうなほどの満足感だった。
そんな私を案じて、相方が「次からは、好きな分だけ食べられる回転寿司にしようか」と言ってくれた。そのさりげない気遣いが、とてもありがたい。
ちなみに、「一番満足したネタは?」と聞かれたら「カッパ巻き」と答えてしまうのだから、自分の安上がりな性分には困ったものだ。
食後は「将棋会館」へ。
一人ではまず訪れることのない場所だったが、熱心に写真を撮る若い女性ファンの多さに驚いた。将棋の世界も、ずいぶんと層が厚くなっているらしい。
帰り道、神社で見つけたのは、驚くほど丸い鳩。
あまりの「太りっぷり」に驚いて調べたら、寒さをしのぐために羽を膨らませて休んでいたようだ。
その「ほにゃあ」とした姿を二人で眺めていると、なんとも平和な心地になった。
基本、家と近所が私の定位置。そこそこ屋外を歩いた外出後は、すぐにお風呂へ。
楽しい春のお出かけだった。
______
今日の食事記録









































